理想の「逝き方」

死に方、というものをときどき考えます。あと半年で「人生の正午」と言われる40歳になるからか、自分の最期を夢にみて「予知夢だわ」と思ったりするほど。

理想の「逝き方」を考えた時に私が夢想するのは、

うららかな日差しのなか、緑のきれいなところで自分の好きな本を読みながら、「ああ、世界って美しいな」と感じながらすぅっと逝く

というものです。

このイメージ、実は私がいちから作り上げたものではありません。とある方のお話を聞いて生まれてきたものです。

■「病人」として死ぬのは当たり前なのか

そのある方とは、ギフト経済で一緒に活動をしている川村真紀さん。川村真紀さんは今、自分らしく最期を迎えるための「幸ハウス」を作るために奔走しています。

その真紀さんが、「幸ハウス」を考えるきっかけとなったエピソードとして話してくれたのが、ドイツのホスピスで庭で読書をしながら眠るように亡くなった患者さんの姿だったのです。

日本では8割の人が病院で亡くなります。病気で病院にいる時、多くの人は「病人」になります。当たり前だと思われるかもしれませんが、「病人」として死ぬのって、本当に当たり前なのでしょうか。

■「病気」になったとき、「病人」になる人とならない人がいる

今、とある慢性疾患の患者さんと関わる仕事をしています。たくさんの患者さんの言動に触れ、患者さんには「自分は病人である」と思っている人と、「病気だけど、私は私である」と思っている人がいるようだなと感じています。

「自分が病人である」と思っている人は病気に囚われすぎて、考えること全てに病気の影響が出てきてしまいます。「私は病気だから」と、自分がやりたいことも諦めてしまうことが多いようです。

一方、「病気だけど、私は私」と思っている人は、同じ病気で体調が悪い時も同じようにあるのに、人生を楽しんでいるように見えます。病気から生じる不都合をなんとか工夫して、自分のやりたいことをやろうとしているように見えます。

もちろん治る病気の時は、「自分は病人である」と思ってもいいと思います。それが必要なこともあるでしょう。でも慢性疾患になったり、最期のときがきたりしたときには、病気に囚われすぎて「病人」のまま死ぬのではなく、私のままでいたいなあ。私はそう思います。

■病気になっても、病人にならないための「幸ハウス」

真紀さんが作っている「幸ハウス」は、病院の隣に建つ居心地の良い施設です。もう一度どう生きたいかを考えられるようなさまざまな仕組み、工夫を作っています。病気になっても、病人にならない施設なのです。

川村真紀さんは今、「幸ハウス」建設費用6000万円の一部、200万円を集めるクラウドファンディングにReadyforで挑戦中です。Readyforのページがとてもステキなので、もっと詳しく知りたい方は、ぜひ見てみてください!


https://readyfor.jp/projects/Living-your-precious-life

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