物がまとう「何か」の価値

ツイッターですてきな投稿を見た。伊勢丹の、宝飾品売り場かウェディングドレス売り場かで起こったできごとに関する投稿だ。


■伊勢丹でのできごとに関するツイート
投稿は、幼稚園くらいの小さな姉妹のお母さんのもの。おそらく、伊勢丹に出かけてショーウィンドウを眺めていたのだろう、売り子さんが中に招き入れてくれて、娘さんに本物のティアラをつけてくれたそうなのだ。

娘さんはその場では特に感動を表さなかったけれど、後日「ウェディングドレスは伊勢丹で買う」とつぶやいていたそうだ。

写真付きのツイートはこちら:
https://twitter.com/eochil/status/816653642421805056
https://twitter.com/eochil/status/816656782948864000

■思い出という価値が付加された買い物
おそらく、その娘さんが本当に将来ウェディングドレスを伊勢丹で買うとしたら、そのウェディングドレスは、幼い頃の思い出という価値も付加された、すばらしいものになるのだろう。

群馬に住んでいた祖母は生前、何か自慢の品を見せる時に「これは東京の百貨店で買ったのだ」等と言っていた。東京で百貨店に入ったときのワクワクする気持ちも含めて、その品が自慢だったのだろう。

■物がまとう「何か」の価値
「何かを買う」ということは、その物を取り巻く空気や気持ちも含めて手に入れるということだ。ジュンサイのように、物は何かをまとっている。時には真珠のように、核となる物よりも、それを取り巻くものの方に価値が出てくることもある。それを含めて買っているのだと思う。

残念ながら今、その物がまとう「何か」の価値は、あまりに低く見積もられすぎている。同じものを、機能だけを重視して買うのであれば、ネット等の人件費がかからない販売方法をとっているところで買う方が安い。けれど、それだと何か寂しい。そのものの価値が下がってしまう。

伊勢丹、すてきな売り場だな。2017年は、すてきな体験を作ってくれるお店での買い物を増やそうと思った。

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▼今日の志津絵。ちょっと太ってきた。▼

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