子どもの頃のお正月

祖父母が元気だった頃、年末年始は毎年、父方の祖父母の家に行くことになっていった。28日か30日に餅をつき、その合間に家中を掃除する。祖父母の家は養蚕をやっていた古い家に新しい家を増築したのでやたら広く、やってもやっても片付かない。赤城山の裾野を吹き抜けてきた空っ風で埃っぽいなか、バケツの水を真っ黒にして、うんざりしながら床をゴシゴシとこすり、窓を磨き、祖父のタバコで真っ黒になった台所兼食堂の壁を拭く。



31日の午前中までにできるところで掃除を切り上げ、午後からはおせち作りにかかった。子どもの担当はきんぴらごぼう(なぜかうちの祖父母の家では叩きごぼうではなかった)となますで、ごぼう、人参、大根をひたすら切った。ごぼうはさきがけ、人参と大根は千切り。台所の流し台だけではスペースが足りないので、ごぼうは吹きっさらしの外の流しで洗う。手が切れるように水が冷たい。涙が出てほおがガサガサになる。叱られない程度に急いで洗う。野菜を切るのは食卓だ。食堂は狭くて、妹や弟と肘が当たる。

祖母は小さいのに妙にスパイスの効いた人で、台所にちんまりと「鎮座」し、自分は手を動かさないのに「そんなに分厚く切ったんじゃ、噛みっ切れないよ!」と指導する。たまには褒めないと、と思っているのか、ときどき「まあ、ずいぶん上品に切れたねえ」と猫なで声を出す。褒められるのはたいてい妹だ。

慌ただしくおせち作りが進むなか、夕食には蕎麦を湯がき、天ぷらを作る。おせちの準備中のものを流し台に積み上げスペースを作って祖父母、両親、妹、弟、私の7人で食事をする。食事が終わり、祖母が「そろそろ紅白が始まる」と席を立つと、母の表情が和らぐ。紅白をラジオで聴きながら後片付けやおせち作りの続きをする。

自分の好きな歌手や見たい歌手の出番の時などは、「テレビ見てくる」と台所を離れて居間に行く。小林幸子だけは毎年外せない。私たち子どもは次第に台所にいる時間が短くなる。そのうちに賑やかな紅白が終わって、ゴーンという除夜の鐘がテレビから流れてくる。「ゆく年くる年」だ。この切り替わりの瞬間も見逃せない。厳かな気持ちになる。

各地の年越しのシーンをこたつに当たってぬくぬくと見る。その頃には母もおせちの準備が終わり、みかんを籠に入れて持ってきてこたつに入る。この日だけは誰も「もう寝なさい」と言わない。眠い目を瞬きながら、テレビに見入る。

「明けましておめでとうございます」とアナウンサーが言って新年の幕が開けると、居間で思い思いにだらしなくこたつに入っていた家族全員、居住まいを正して「明けましておめでとうございます」と言い合う。学校の友達が初詣で落ち合う約束をし合っていたのを、ちょっぴり羨ましく思い出しながら、お風呂に入り「今年初のお風呂だから」と、念入りに体を洗う。

翌朝はちょっと早く目が覚める。新年の朝。お気に入りの洋服に着替えて台所にいくと、母はすでに起きていてお雑煮の準備をしている。少し手伝っているとみんなが起きてくる。

元旦の食卓は、お雑煮とおせちが並んで豪華だ。祖母は「早くビールを出しなよ」と、祖父をせっつく。いつもは祖母に押され気味の祖父も、この日ばかりは威厳がある。祖母にせっつかれても、悠然としている。祖母は健康上の理由から水分制限があるため、薩摩切子の小さな赤いグラスにビールを注いでもらう。

「明けましておめでとう」と祖父がグラスを掲げながら言う。子どもたちはジュースで乾杯だ。祖父が半分ほどビールを残してグラスを置くと、祖母は「男らしく、こういう時はグッと飲むんだよ」とぴしゃりと言う。厳しい。

元日は外にゴミを吐き出してはいけないから掃除もしない。朝食の後は、群馬テレビで前橋駅伝を見るのが常だ。近くを通っているのか、ヘリコプターの音が聞こえる。「友達は福袋とやらを買いに行ったのかなあ」などとぼんやり思いながら、見る。その後、車で母方の祖母の家に行き、ご馳走を食べて、お年玉をもらう。母方の祖父は元校長先生で話が難しいから、ちょっと背筋が伸びる。母方の祖母は料亭のように、ご馳走を次々に運んできてくれる。その日のうちに父方の祖父母の家に帰る。

2日は父方の親族が集まる。朝食後は、20名以上が入れるようにと居間のこたつをどかし、古い家から大きなちゃぶ台を持ってきて並べる。父の指揮が悪く、私たち子どもはぷんぷん喧嘩しながら物をどかしたり、掃除をしたり。

昼すぎに、栗きんとんやお煮しめ等、私たちが作らなかったものを持って、親戚達がやってくる。いとこ達と一年ぶりに会えてうれしい。おじたちはお酒を飲み、おばや母、女の子のいとこたちと共に妹と私は給仕をする。その合間にいとこたちとおしゃべりをしたり、トランプで賭け事をしたり、年下の小さないとこをからかったり。

祝宴にはおせち、寿司、蕎麦やうどんと続き、最後におしるこが出てくるのが常だった。みんな「もう食べられない」と言いながら、やっぱり食べる。おしるこを食べる頃におじやおばからお年玉をもらい、祖父からももらう。父方の祖父からもらうお年玉が一番大金で、急に大金持ちになったような気になる。

妹やいとこと皿を洗って、母を手伝う。緑茶を出し、乾きもののお菓子やみかんを出すころ、親戚たちが三々五々に帰っていく。ようやく母も落ち着いて座る。こうして、母にとっては嵐のような年末年始イベントが幕を閉じる。あまりに母の負担が大きいので、心の衝突も起こったのだろう、毎年のように「来年はもうやめよう」と祖父が言う。

久しぶりの親戚に会える楽しい機会だけれど、「年末年始はハワイ」「お正月は温泉旅行」という友達や、「お正月はどこにもいかないからデパートの初売りにいく」という友達を少し羨ましく思ったのも事実だ。毎年毎年、なんでうちだけこういうしきたりなのかと、特に十代後半は疎ましく思った。

やがて私も大人になり、祖父母も亡くなって、年末は海外や初売りにいきたければいけるようになった。だけど、あの、わさわさと騒々しく、喧嘩しながら、友達を羨みながら過ごした埃っぽいお正月をときどき、痛切に懐かしく思う。

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