お風呂のなかで祟り神と格闘した話

※お風呂の大掃除をしないつもりの方は、見ないほうが幸せかも……

2014年は厄年だったのですが、仕事はおかげさまでとても楽しく順調だったものの、プライベートではもう笑えるくらいの「ザ・厄年」でした。 「なぜ!?」と思うことがいっぱい起きた! 早く2014年を脱ぎ去りたい! 今年こそ真の意味で「忘年会」が必要です。で、忘年会の前に厄落としをしようかと。ええ、大掃除です。

我が家の軍曹は「大掃除が必要な家に住むな」という考えなので、今まではあまり大掃除らしい大掃除はしてきませんでした。でも今年は夫こそ大変だったので、私の「2014年の厄落としをするためにも、風水的にも大掃除が必要だよ!」という言葉に反対するはずもなく。

で、ですね。大掃除してたらお風呂場に祟り神を発見した! 数年間の不運は全部このお方のせいだったのではないかと思うほど。


tatarikami

◼︎排水溝の通路のカバーは常になし、エプロン外してたまに洗ってるのに!

我が家のお風呂は、排水溝への通路が汚くなるのが嫌なので、カバーを取っ払ってっています。で、お風呂に入るたびにちょちょっと掃除しています。またフェリックス軍曹はお風呂掃除の時にたまに風呂桶の側面のエプロンを外して、洗える部分は洗ってくれているようです。だから排水溝はわりときれいな方だと思っていました。だけど……、大間違いでした!

今まで「手が届かないから」と掃除をしていなかった風呂桶の下の隙間に細い針金の棒を差し込んでみたら……いやあ、もう出るわ出るわ。祟り神としか形容できないものたちが。

◼︎祟り神との格闘中に頭にずっとあったのは日本昔話の「ていていこぼし」

で、祟り神様と格闘している間に頭の中にずーっとあったのは、日本の昔話の「ていていこぼし」とか「てえてえこぼうし」とかと呼ばれる、古寺の化け物のお話。

こんな話(ちと長いです):

昔、あるところに古い荒れ寺があった。そこには大きな化け物がいるため、さまざまな坊さんがその寺に住もうとしたが、みんなとって食われてしまい、寺は荒れ放題だった。

ある日、一人のみすぼらしい身なりをした坊さんが村にやってきた。村人に「あの寺に泊まりたいが、問題ないか」と聞くと「化け物が出るから住職が続かない。お前さんが泊まる気なら、一泊と言わず、一年でも何年でもいてくれ」と言われた。

坊さんは喜んで荒れ寺に泊まることにした。寝ていると、夜中に生臭い風が吹いてきて、寺がガタガタ揺れ出し、天井の方からドーンと青坊主が降りてきた。坊さんは怖くてお経を唱えながら隠れていた。

すると、戸口に誰かやってきて言った。
「ていていこぼしは、いるか」
「いる。誰だ」
とうやのばずでござる。今宵はいいさかなが入ったそうで」
「ほう、よくきた。入れ」

こんな具合に、「とうやのばず」の後には「なんちのだいり」「さいちくりんのへんそくけい」「ほくそうれいばのろうぎゅうず」と、つぎつぎ化け物が「ていていこぼし」を訪ねてきた。坊さんは、こりゃえらいことになったと隠れて見ていると、最初の「とうやのばず」がまな板や包丁を鳴らしながら大声で言った。
「こりゃあ坊主、前に出え。『とうやのばず』が、お前を料理をしてつかわす」

しかし、坊さんは機転を利かせてこう返した。
「『とうやのばず』とは、東のほうにある野原の馬の頭蓋骨のことだろう。そんなものが人を食うことにはならん。され」

坊さんはその後も次々と「なんちのだいり」は南の池で死んだ大鯉、「さいちくりんのへんそくけい」は西の竹林で死んだ片足の鶏、「ほくそうれいばのろうぎゅうず」は北の葬礼場の老いて死んだ牛の頭だと言い当てて化け物をやっつけた。

最後に「きへんのはるのていていこぼし」と名乗る青坊主を椿でできた小槌と見抜くと化け物はすべて逃げて行った。

翌朝、心配になった村人たちが荒れ寺に見に行くと坊さんがぐうぐう寝ていた。起こして「化け物がでなかったか」と聞くと、「化け物なんかじゃない。東の野原の馬の頭蓋骨、南の池で死んだ大鯉、西の竹林で死んだ片足の鶏、北の葬礼場の老いて死んだ牛の頭と、この寺にある小槌だった。それらをすべて集めてねんごろに弔ってやることにしよう」と坊さんは言った。村人たちは大いに坊さんを尊敬し、この村にずっといてほしいと頼んだ。

出てくる化け物の正体が、古い下駄だったり、壊れた傘だったりするなどいろんなバリエーションがあるんだけれど、この手の話は日本全国にある。

◼︎ものを捨てるのはお弔いに似ているし、お掃除は「祀り」に似ている

我が家のお風呂の祟り神様の中には、どうしてそんなところに入り込んじゃったのかわからないけれど、鉄製のハンガーがあった。そんな方々を掻き出しながら、思った。この「ていていこぼし」のお話はよく「ものを大切にしないと化けて出る」とか「弔われないと動物だって化けて出る」という教訓がくっついているけれど、本当だわーって。もう、この祟り神様、昔話だったら人をとって食っても不思議じゃないレベルのまがまがしさ。そして、ちゃんと捨てるっていうのは、やっぱりお弔いに似てるわーって。

それからもっと思ったのは、掃除ということ行為は、ある種の「祀り」とか「供養」にも似ているものかもしれないってこと。ものを捨てるということが一回限りの「弔い」なら、掃除は何度でもできる「祀り」。

こんなに徹底的に汚れている場所を掃除するのは初めてだったけれど、風呂に神様がいるならば、「祀り」になったと思うし、鉄製のハンガーやその他もろもろは「お弔い」されたと思う。

我が家の祟り神様、もしくは古寺の化け物と対峙すること1時間半。TOKIOならリサイクルできそうな、「あのー、それ捨てちゃいますかね」っていうかもしれなそうな量の神様を回収して、今年の大掃除は終了。なんかおどろおどろしいものを感じて合掌しちゃった。大掃除って絶対やったほうがいいですね。

ところで、祟り神を見たフェリックス軍曹曰く「もう二度とお風呂が汚れないように、風呂桶のエプロンは取り外したままにしない?」…… 必死で抵抗しました。それは、あまりにも軍隊っぽすぎる。猫足のバスタブだとお掃除が簡単だなあ。猫足でシンプルなデザインのもの、ないのだろうか……

皆さんも、運気が悪いなーと思ったら、風呂桶の下をぜひ掃除してみて。柄がしなるタイプのブラシや、高圧洗浄機があると便利です。おしまい。

▼まったく関係ないけど、シーズーの志津絵のセクシーショット▼

IMG_1373

<おすすめ記事>
フェリックス軍曹のお片づけブートキャンプ
物を捨てることは、究極の「物を大切にすること」
物が多くて片付かないなら、狭い家へ引っ越そう!

About The Author

プロフィールはこちら