子どもが見た西ベルリン&東ベルリン、そして壁崩壊後25年

25年前の11月9日、ベルリンの壁が崩壊した。テレビでそれを見て、当時小学校6年生だった私は本当にびっくりした。直前の夏にベルリンに行き、東側と西側の両方から壁を見ていたからだ。

その旅は父の仕事の関係で、ソビエト連邦(当時)から始まり、エストニア(当時はまだソ連だった)→フィンランド→スウェーデン→東ドイツ(当時)→西ドイツ(当時、西ベルリンだけだけど)→東ドイツ→チェコスロバキア(当時)→イギリス→アメリカと移動した。短期間で共産主義と資本主義の国を行き来したから、その違いが小6の私にもよくわかった。

■11歳が見た共産主義国のイメージ

共産主義の国は、灰色で物資がなく、笑顔がないイメージ。ソ連が一番ひどかったように思う。スーパーに行って行列ができていても、棚にはほとんど物がない。店員さんにエッチなカードサイズのカレンダーとか、砂糖とかをあげたりして仲良くならないと物が出てこない。ホテルの部屋のトイレットペーパーも、半分以上使われたものばかりついている。(長期滞在だったので、次第にホテルの従業員と仲良くなったら、新しい物が置かれるようになった。母と驚いた記憶がある。)就業時間になると、仕事の途中でも、目の前に行列ができていても、ガシャンと扉を閉めてしまう。

タクシーのメーターは壊れていることが多くて、ぼったくれる。白タク(自家用車で勝手にタクシー的な商売をしていること)が横行している。瓶入りのジュースなどの商品の、濃度と入っている量がそれぞれ違う。ありとあらゆる場所で「チェンジマネー?」と聞かれる。人が笑わない。写真を撮ろうとすると怒られる場所がある。あ、あとペプシはあるのにコカコーラがないのも子どもの私には印象的だった。そういう国々の印象。

■11歳が見た資本主義国のイメージ

一方、資本主義の国は、人々がにこにこしていた。マクドナルドがあって、コカコーラが絶対にある。物が溢れていてカラフル。テレビで世界の情報が流れているし(ちょうどスウェーデンにいたときに天安門事件が起こって、テレビで大騒ぎしていたのを覚えている)、何でも売っている。北欧のスーパーに南国の果物スターフルーツがあったほどだ。タクシーの中に忘れ物をしたら運転手がホテルに届けてくれるし、同じ商品はまったく同じ量、同じ濃度で売られている。子どもの私には、そんなイメージ。

■共産主義の東ベルリン

ベルリンの壁があった東ドイツは、共産主義の国。東ベルリンの人々の表情は堅く、戦争の傷跡が残る建物がたくさん。印象的だったのは、ブランデンブルグ門という、壁ができる前には東西ベルリンを行き交う人で賑わっていた門に、兵隊が常に張り付いていて誰も近寄れなかったこと。壁からかなり離れた場所までしか近づくことができず、毎回見に行くたびに壁を見つめて泣いている人がいたこと。ベルリンの壁はある日突然作られたので、家族が離ればなれになってしまった人たちがいたらしい。そして、壁を越えて西ベルリンに行こうとして兵隊に射殺された人もいたそうなののだ。

▼ブランデンブルク門。崩壊前の様子▼

■資本主義の西ベルリン

一方、壁に囲まれた中の西ベルリンは英米仏三か国の領土なので、完全に資本主義の国。共産主義の壁に囲まれて、ぽつんと資本主義の国があるのだ。外国人の私たちは簡単に東ベルリンから西ベルリンに入れたので、1日だけ日帰りで出かけた。壁の外は共産主義の灰色で物も笑顔も少ない国なのに、壁の中は物の溢れるカラフルな資本主義の国がある。東ベルリンの壁は「近づいたら撃つぞ」と兵隊がはりついているのに、西ベルリンの壁は近づき放題で落書きだらけ。誰も壁に向かって泣いちゃいない。出かけたのはちょうど軍事パレードをやる日だったので、フランスとアメリカの戦車が道を誇らしげに通るのを見た。アメリカ軍の戦車からはチョコレートがばらまかれていた。壁に囲まれた場所の中と外でこれほどまで違う世界がある。不思議な感覚だった。

▼ベルリンの壁、西側から▼

そして東ベルリンに戻って、またブランデンブルグ門を見にいった。壁は揺るぎなく守られて、絶対壊れなそうに見えた。

■ある日突然できた壁は、ある日突然壊された

なのに帰国後すぐの11月9日、壁は壊された。東側はあんなに鉄壁の守りで固めていたのに、28年も壁で守っていたのに、あっけなくなくなった。

そのニュースをテレビで見て、共産圏の鬱々とした雰囲気を思い出し、「人は怠け者だから共産主義はうまくいかないよね、競争がないと頑張らないから資本主義じゃないと幸せになれないよね」と25年前の小6の私は思った。子どもの目には、ベルリンの壁崩壊は、共産主義を資本主義が打ち負かしたことの象徴のように見えた。現に、ベルリンの壁は、東ドイツに自由をもたらした。物資も豊かに揃うようになったらしい。

■壁崩壊後から25年、資本主義も完全じゃない

でも、ベルリンの壁崩壊後25年たったの今、資本主義の国々を見てみると、東ドイツに資本主義がもたらされたことが幸せだったのか、疑問に思うことがある。

『エンデの遺言ー根本からお金を問うこと』(2000年、NHK出版)という本の中に、旧東ドイツで市民が失ったものについて以下のように書かれている。

 ドイツのザクセン・アンハルト州のハレ市は旧東ドイツの街のひとつです。1989年のベルリンの壁崩壊、1991年の東西ドイツの統合によって、旧東ドイツには新たな経済システムの並が押し寄せました。体制が代わり、多くの市民達は資本主義の原理のもとでの生活を始めました。自由と競争のなかで、既存の多くの企業が倒産し、街には失業者が溢れました。

 現在のハレのマーケットには物が溢れています。物も少なく自由にしたいこともできなかったが、生活に困ることのなかった社会主義の時代から、何でも手に入るが失業の不安を抱えた資本主義の時代へ。ハレの人々はこの変化をどう受け止めているのでしょうか。

「統一で何が変わったかって? 個人的には何の意味もなかったわ。大きな変化といったら、バナナを街でもみかけるようになったことかしら。お金も増えたし、可能性も増えた。でも仕事も増えて忙しくなったわ」
(読みやすさを考えて、改行を入れています。)

この本の中で、ハレの人々は、東西ドイツ統一後、お金がなければ何もできないと感じるようになったし、お金が何より大事で、他の人のことなんてどうでも良いと思うようになってしまったと嘆いている。

子どものとき、東ベルリンで泣いていた人の家族や恋人や友達は、なぜ西ベルリンで泣いていないんだろうと疑問だった。そのときは、きっと西ベルリンが幸せだからかなと思った。けれど、もしかしたら泣いている暇なんてないほど仕事が忙しかったのかもしれない。(まあ、西ベルリンの人は比較的自由に東ベルリンに入れるという事情もあっただろうけど。)

■25年後、もっと楽しい世界になっているために

資本主義では、お金を生み出すことが非常に大切だから、物が売れれば売れるほどいい。たくさん作って、たくさん売る。ある程度まではそれは幸せに直結するけれど、ピークを越えると、持ち物が増えても幸せ度はほとんど変わらなくなる。それどころか、労働者にも環境にも大きな負荷をかけることになってしまう。今の日本人が感じる、何か物を手に入れることで得られる幸せは、25年前に比べたらかなり小さくなっているんじゃないかな。共産主義圏の国の人みたいに、グレーな顔色の不機嫌な顔つきをしちゃっている人が多くなっちゃってるんじゃないかな。

25年間に、いろんな国の体制も人々の価値観も変わってきた。大きな仕組みが、ベルリンの壁崩壊のように1日でバッと変わっちゃうこともある。25年後、「あの頃よりもよくなったよね」って言えるように、何が幸せかを自分の頭で考えてきたい。2014年11月9日に、25年前を思い出して、そう思っています。

<ベルリンの壁関連でおもしろかったページ>
・ドイツ、ベルリンの壁崩壊から25年。ベルリンの夜空を光る風船が舞う
・社会主義圏に浮かんでいた資本主義のショーウインド 西ベルリン
・ベルリンの壁が崩壊するなど考えられなかった頃
とくに3つめ。写真がいっぱいです。これ、見たみた! 私も今度アルバム取りに行って写真をUPしよう。

<エンデの本はこちら。講談社文庫になってた>

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