「大丈夫だよ」という励ましは、取り扱い注意

「頑張って」と励まされることが辛いと聞くけれど、「大丈夫だよ」と励まされることが辛いこともある。

「闇をさらけだせ!」という人がいる。だけど「闇は隠すから闇なんじゃ。明らかにする必要はない!」と思うからあまり自分の闇を書くのは好きじゃない。でも、書かないと具体性がなくて伝わらないから書こう。

今まで、流産した時と、夫が9割がた癌という疑いがあった時の2度、「大丈夫だよ」と言われたのが辛かった。


allright

■「大丈夫だよ」と言ってしまう心理

何か大きな問題が起こってしまった相手に「大丈夫だよ」と声をかけるのは、「大丈夫であってほしい」という気持ちの現れだろう。たぶん、祈るように逃げるように、「大丈夫だよ」と言ってしまうのだと思う。

私も「大丈夫だよ」と、大丈夫かどうかもわからないのに言ってしまったことがある。例えば友達が癌になった時。医者でもないのに彼女に「大丈夫! きっとすぐに良くなるから」とか言ってしまった。それは言霊のように、言っておけば現実になると信じたい気持ちの現れで祈りのようなものであり、彼女が心を強く持てるように支えるつもりの発言だった。

また、実は夫が癌の疑い9割だったときに、同じタイミングで友達がもっと大変な状況に陥っていたのだけれど、夫が癌じゃないとわかった瞬間、その友達に「大丈夫だよ!」と言いたくなった。踏みとどまったけれど、うっかり言いそうになった。大丈夫かなんて、私にはわかりっこないのに。たぶん、「大丈夫だよ」という言葉は、安全地帯にいる人が投げかけがちな言葉なんだろう。

■「大丈夫だよ」がもたらす孤独

でも「大丈夫じゃないかもしれない」と思うような状況に自分があったときに「大丈夫だよ」と励まされて思ったのは、「ああ、もう『心配だ。どうしよう〜』と、この人に泣きついちゃいけないんだな」ということ。相手が「大丈夫だよ」っていうのに「いや違う、大丈夫じゃない」って言いにくい。言いたくもないし。だから「うん、そうだね」って、不安な気持ちを抱えたまま言うしかない。

だけど、そうなると、心配な気持ちととことん孤独に戦わなくちゃならなくなるのだ。「大丈夫だよ」は甘え下手の私にとっては「もう私にその問題のことを言わないで」という意味に聞こえてしまうから。でも、辛いときに聞いてくれる人がいなくなると、もうダメだ。絶望的だ。

■大丈夫じゃなかったときの闇

それから「大丈夫だよ」という言葉は、大丈夫じゃなかったときに心を深くえぐる。正直言えば、私は流産したときに何人かの人が言ってくれた「大丈夫だよ、赤ちゃんはいつかタイミングを見て、一番良いときにもう一度やってくるから」っていう言葉に今も何度も傷ついてる。たとえば、科学的流産したときなんかに。

八つ当たりみたいな発想かもしれないけれど、何度も何度も反芻して「大丈夫なんかじゃなかったじゃない」って思ってしまう。その人たちが悪いわけじゃないんだけれど。

■「大丈夫だよ」が効く場合もあるだろう

だからといって、「大丈夫だよ」が一律に悪いというわけではない。夫が9割癌の疑いだったとき「大丈夫だよ」と言われた言葉は、その時は辛かったけれど、癌じゃないとわかった時には感謝すべき言葉に変わった。「大丈夫だよ」と保証してくれて、祈ってくれてありがとう、という気持ち。癌じゃなかったからね。

また、例えば大きな試合とか、試験とかの前に単に不安で、不安に負けそうになっている時には、周りの人が「大丈夫だよ」と言ってくれると安心することもあるだろう。それから、専門知識を持った上で「大丈夫だよ」と言ってくれるのも、大きな安心材料になるだろう。

■おざなりに「大丈夫だよ」というのが一番まずい

つまりは、おざなりに言われたか、考え抜いた上で「大丈夫だよ」と言ってくれたかどうかなのだろう。考え抜いた上で、この人のこの状態なら「大丈夫だよ」と言った方が良いと、考えたかどうかにあるのだろう。

「頑張って」も同じだ。「一緒に頑張ろう」も「絆」も。安易に「これを言っておけば丸く収まる」という発想で返す言葉は毒だ。そして、本当にきついときには言葉は無力だ。たぶん、一緒にいて話を聞いてくれることこそが励ましなんだ。安易な言葉はいらない。

そんなことを考えました。おわり。

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