【映画】『風立ちぬ』を観てきた。

『風立ちぬ』を観てきた。作品は零戦を設計した天才設計士・堀越二郎と、堀越二郎と同時代を生き『風立ちぬ』『菜穂子』等の作品を残した作家の堀辰雄をごちゃまぜにして生まれた、架空の人物である「二郎」の物語だ。
ジブリ公式のあらすじはこちら:http://kazetachinu.jp/story.html

映画を見終わって1日経っても余韻が続く。今パンフレットを見直しても、胸が締め付けられる。非常に好きな作品なので、感想を書いておこうと思う。(思い切りネタバレあり、です。)

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■作り手の欲求と苦悩

「僕は美しい飛行機が作りたい」と二郎は夢のなかで、二郎の尊敬する飛行機設計家カプローニに言う。

自分が誠意を持って作り上げたつもりのものが、(作っている最中に、チラッとは意識していた)思わぬ難点によって、後に批判されることもよくあることだ。一気に卑近な例になってしまうので具体的には書かないけれど、私も誠意を持って一生懸命書いた原稿について、思わぬ批判をされたことがある(もちろん反省はしている)。今回の『風立ちぬ』に関して喫煙シーンが多すぎると批判されたことも、思わぬ批判を受けた例になるかもしれない。

二郎は戦闘機が人殺しに使われることを意識はしている。でもそれよりも重視していることがある。そんな毒をはらんだ「作り手の欲求と苦悩」が、この作品には表れていると思った。

■一生懸命に仕事をするしかない状況で、自分の大切なものを犠牲にせざるを得ないときの気持ち

当時不治の病だった結核を患う菜穂子と婚約した二郎。菜穂子が喀血したという連絡を受けて、勤務先の名古屋から菜穂子の家のある代々木上原まで行くため、電車に飛び乗る。二郎は電車の中で飛行機の設計をしながら涙を図面に落とす。

二郎のように切羽詰まった状況ではないにせよ、一生懸命に仕事をするしかない状況で、大切なものを犠牲にしたことがある人は、多いのではないだろうか。子どもと約束していた遊園地行きが急な仕事でダメになったり、デートの約束が仕事で間に合わなくなったり、大切な肉親の見舞いにあまり行けなかったり。「ごめん、ごめん」と思いながらも、仕事をせざるを得ないこと、せざるを得ない時がある。また、辛い気持ちを紛らわせようと仕事に打ち込もうとして、頭は仕事を考えているのになぜか泣いているような、頭と心が分離しているみたいなときもある。菜穂子のことを愛しつつ、仕事をしている二郎の気持ちに共感しすぎて、苦しかった。

■正しさ、正義だと自分が思うことの危うさ

「ここは天国なのですか。地獄だと思いました。」と、二郎は自らの夢で、墜落した零戦の残骸が草むらに転がり零戦の大群が大空を美しく舞うなかで言う。その後にスクリーンに表れる「生きねば。」の文字。

この時代、最優先されることは「西洋に追いつき、追い越せ」。飛行機作りの技術は、西洋に20年以上も遅れをとっている。1日に日本も進歩するが、西洋も1日分進歩する。西洋の何倍もの速度で進歩しなければ、一向に追いつけない。そんな焦燥感が二郎にはあっただろう。一方、二郎が生まれ育った時代に日本全体は日露戦争、第一次大戦と戦争を繰り返していて、日本全体が「戦争反対が正しい」とは思っていなかったはずだ。

そんな焦りと時代のなかで二郎は自分の夢である「美しい飛行機を作りたい」という気持ちに全力で取り組んだ。「多くの人を死に追いやった零戦という戦闘機を作った」と後世の人に批判されようと、そのときの二郎は一生懸命まっすぐに、正しいと思うものと自分の夢に一心に打ち込んだけだったのだ。

正しいと思うもの、正義だと自分が思うものは、実は非常にもろいものだ。「正しさ」なんて時代とともに風が吹くように簡単に変わってしまう。そんな移ろいやすい時代の風に吹かれて、過ちを犯したとしても「生きねば。」。生き抜かなくてはならないのだ。

とにかく絵が美しい。下宿の乱雑な部屋、田舎の風景、二郎の夢の中…… 1枚1枚がそのまま絵として飾りたくなるほど美しい。特に、二郎と菜穂子の結婚式のシーンは、ストーリーとともに胸に迫る。

こんなに映画館で泣いたことはないと思うくらいボタボタと涙が流れた。でも、実は笑えるシーンもたくさん。「鯖の骨」「牛は好きだ」「二郎君が庭から!?」とか。笑いの沸点の低い、気心知れた仲良しメンバーで観に行ったからゲラゲラ笑いっ放し。で途中から嗚咽。

精一杯生きねば。そう感じさせてくれる映画でした。

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